心を込めてお茶を淹れる

「つるちゃんからの手紙」 

 

私もいろんなところに出かけますが、大抵お茶を出されます。


お茶を出されるという何気ないことかもしれませんが、お茶の出され方、お茶の味がそれぞれの会社や組織でまるで違うなあと気が付きます。

お茶を持ってくる人の表情やしぐさで私がそこで歓迎されているのか、否かということもよくわかります。

 

来客にお茶を出すということは実はとても難しいと思うのです。

 

せめて客人が何の目的で、訪問しているのかがわかれば、お茶を出す人は気が楽だと思うのですが、それが伝わっていないと、必要以上に緊張してしまい、ぎくしゃくしてしまうこともあるでしょう。

 

私はお茶を出すということは、若い時によくやっていました。

そのときに、自分でお茶を買ってきて、それをうまく淹れる練習をしたものでした。

 

 

お茶の葉の銘柄や温度にもこだわって、試行錯誤しました。

 

事前に湯飲み茶わんを温めておくにはどのようにするのか、お茶の葉の量はどうなのか、味が濃くないか薄くないか、フタはどの向きがいいのか、などいろいろと細かいことを調べ、練習したことがありました。

 

でも、どれが正しいお茶の淹れ方かわかりませんでした。

 

2012年に宇都宮で、私は「人が輝く組織つくり」という演題で講演をしました。そのときに私の講演を聴いていただいた、宮城県のお茶の製造販売を行っておられる矢部亨さんという人と知り合いになりました。

 

その矢部さんは同行したうちのスタッフにお茶の正しい淹れ方について簡単に講義をしてくれました。

「いつか、より正しいお茶の淹れ方を教えてあげるよ」とその時に約束しました。

そして、その歳の年末に、私の医院に宮城県塩竈市から本当に来ていただき、「正しいお茶の淹れ方」を全スタッフに教えていただいたのです。

 

その時はせっかく来ていただいたので、東日本震災の時にどのようなことがあったのか別に講話をしてもらいました。

 

それから、私も被災地を行ったり来たりして、矢部さんに復興のお話を聴いていました。

 

実際に被災地に行くとまだ震災の爪痕がたくさんのこっています。

昨年家族旅行で石巻南三陸町を矢部さんに連れて行っていただきました。

 

昨年から矢部さんは諫早にもグルメフェスタにお茶の販売でおいでになり、今年も出展されると、耳にしたので、当院の新入社員4人を対象に「正しいお茶の淹れ方教室」を開いていただきました。

 

新入社員は大喜びです。

 

お茶をちゃんと淹れることがいかに大切か、そして日本茶をちゃんと淹れるとこんなにおいしいということを実感してもらいました。

 

コンビニで売ってるペットボトルがお茶の味だと思っていた人もいたようで、今の若い人にはこのような経験も大きく活きてくるのだなあと実感した次第です。

 

職場にはただ仕事のやり方だけではなく、社会人としての「あり方」を教えることも大事なことだと私は思っています。

 

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WTS 理事会 役員交代式

WTS理事会が4月21日に開催されました。

WTSは(win-winの楽しい歯科医院を普及する協会)として結成され、12年が経ちました。

歯科業界の変化はめまぐるしいのですが、この会は勉強だけではなく、患者よし、医院よし、スタッフよし、世間良しの「4方よし」をめざして、明るくたくましく運営をつづけてきました。

私はこのスタディグループの理事を10年近く続けておりましたが、今回の理事メンバーの交代式が福岡市内で開催されました。

 

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上が旧理事、下が新理事の写真です。

山澤先生は会計として、長い間、WTSを支えていただきましたが、次は大平先生へ。

私は主にスタッフプレゼンテーションを担当していましたが、今度は上拾石さんへ。

そして、河野先生、鳥山先生へと、新しい時代にWTSは変遷していくことになります。

 

会長職は成富先生が継続されること、太田先生、江口先生、安倍先生、山澤先生、本当に本当にご苦労様でした。

 

翌21日は福岡市内の貸し会議室で、会の運営のひきつぎを行いました。

 

私もこのWTSに入会して、会の運営にかかわったので、今があると思います。

会のメンバーの皆様、今回で理事を引退しますが、相談役という形で、今後もよろしくお願いもうしあげます。

 

 

 

 

 

 

 

つるちゃんからの手紙 平成27年10月号

K大学付属病院歯科口腔外科は卒後研修が終わって就職した病院です。

そこでボクは多忙な毎日を送ることになるのです。

 

朝は7時半から病棟で回診、9時から外来。気が付けば14時。昼食を急いでとって小手術、そしてまた病棟。手術の時は朝からずっと手術室に入り、気が付けば日が変わっていたこともよくありました。

 

もちろん、まだ経験が浅いわけなので、執刀できるレベルではありません、主にアシスト(鈎持ち)で入るのです。

 

休みも出てきて回診や当直医のお手伝い。

若かったので、ちっとも疲れませんでしたし大変とも思いませんでした。

 

こんなことがありました。卒後3年目の出来事でした。

この時はある程度仕事を覚え、ボクはちょっと生意気になっていたのかもしれません。

 

ある日、教授は、ボクに難しい症例の患者さんを配当してくださいました。

 

大学病院では大体新患担当医が症例を診て、それをちゃんと治せる経験をもったドクターに患者さんを配当するのです。

 

私は、戸惑いました。

 

その患者さんはYさんといいます。
73歳女性。
ご家族はおらず、郷里が私と同じ長崎でした。

 

カンファレンスが終わり、ある程度の治療方針が決まりました。

しかし、ボクはYさんの病状の進行があまりにも早かったので、これはすぐに手術をしないといけないと思い、教授に相談し日程を確保し、執刀をお願いしました。

 

中央手術部に行くと、案の定というか当たり前ですが・・・・すぐに手術ができるわけではありません。予定手術はびっしり、来週まで埋まっています。

 

ボクは中央手術部の責任者に、その患者さんの病状を告げ、無理にお願いしました。

 

すると、「耳鼻科の手術がこの日だったら早くおわるかもしれないから、その後だったら・・・」と言っていただきました。

 

予定開始時間をみたら16時。10時間かかる手術の開始時間としたら遅かったのですが、ボクはすぐに手術申込書を提出し、教授へ報告しました。

 

教授は嫌な顔ひとつされずに承諾していただきました。

かなり難しい手術でしたが、うまくいきました。

手術が終わったのは深夜2時を回ったところでした。

 

教授の執刀はパーフェクトでした。

 

術後はICUで数日間管理していただき、その患者さんは順調に回復しました。

一般病棟に帰った時、とてもうれしそうでした。

 

その後も他科の協力を得て、その患者さんは他の病院へ転院し、1年近くの闘病生活をおくり、比較的に元気になられました。

 

そんな折、ボクは大学病院を辞めることになりました。

 

最後に調べた検査ではその重い病気の再発は認められませんでした。

「現段階では治っている!」ボクはとてもうれしくなり、Yさんへ報告しました。

Yさんは小さな痩せた手で、ボクの手をぎゅーっと握って涙をたくさんこぼしてくれました。

 

でも、その患者さんが泣いていたのは自分の病気の再発がなかったことではなく、ボクがいなくなることが悲しくて泣いていたのだそうです。

 

Yさんは転院されたとき、その病院の主治医の先生に何度も、こう言ったそうです。

 

「私が今、ここにいるのはあの先生のおかげなんです。あの先生が私をすぐに手術してくれて、1週間、一睡もしないで私に付き添ってくれた。だから私はつらい治療に耐えることができた。そして今、元気になれたのです」。

 

それを担当の看護師さんから聴いたのが、ボクの送別会の時。

すぐに教授に報告し、お礼を言いました。

 

すると教授は静かな声で、ボクにこう言いました。

 

「鶴田君、病気はね、患者さんが治すものだよ。私たちはそれを手助けしたにしか過ぎない。だから、どんな時も患者さんには必ず誠意をもって接してほしい。すると、何かが伝わる。君はその何かを決して忘れてはいけないよ。」

 

ボクはその後、佐賀の地方の歯科医院の分院長へと赴任するわけですが、どんなに大変な時もその言葉を思い出し、頑張り続けることができました。

 

教授がおっしゃった、その何かというのは「謙虚さ」「真摯さ」「信念」ということだったのです。

 

当時のボクはまだまだ生意気盛りの未熟な人間でした。

きっと、教授は私に人として、歯科医師として必要なことを、あえて教えて頂いたのだと思っています。

 

 

 

ブログタイトルについて

「つるちゃんからの手紙」は医院に訪れる人に向けて、私の思いを毎月綴っているものです。

そのきっかけは・・・・勤務医を採用してからというもの、治療の後、患者さんが受付で「今日は院長先生はおらんとね?」「最近院長先生の顔を見らんとけど、病気でもしとるとね、元気しとらす?」などと言われるのです。

その間、私はインプラントの手術や印象、補綴などを真剣勝負でおこなっているので、ほかの患者さんにお会いすることができないのです。

だから、私は「つるちゃんからの手紙」というものを書いて、少しでも患者さんに、自分の思いを発信することにしたのです。

おっと申し遅れました。私は長崎県雲仙市というところで歯科医院を開業している鶴田博文という者です。

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